<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
  <channel>
    <title>釣り船かねやまー三重県志摩半島の船釣りならかねやまへ</title>
    <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/</link>
    <description>三重県志摩半島の船釣り、マダイ、イサギ、ハマチ、ワラサなど</description>
    <!-- optional tags -->
    <language>ja</language>           <!-- valid langugae goes here -->
    <generator>Nucleus CMS v3.2</generator>
    <copyright>ｩ</copyright>             <!-- Copyright notice -->
    <category>Weblog</category>
    <docs>http://backend.userland.com/rss</docs>
    <image>
      <url>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama//nucleus/nucleus2.gif</url>
      <title>釣り船かねやまー三重県志摩半島の船釣りならかねやまへ</title>
      <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/</link>
    </image>
    <item>
 <title><![CDATA[新年に思う]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=89</link>
<description><![CDATA[　新年おめでとうございます。<br />
　昨年中はお世話になりました。<br />
　<br />
　我が県が産んだ俳人で俳聖と言われる松尾芭蕉さんの東北紀行文「奥のほそみち」の冒頭に、<br />
月日は百代の過客にして行き交う年も旅人なり、船の上に生涯を浮かべ、、、老いを迎えるは日々旅にして旅を住処とす、余も何処の歳からか片雲の風に誘われて漂白の思いやまず、、、と。<br />
彼に言わすと人生は旅であり旅こそが人生で、旅に出なくとも渡し舟や駕籠かきや馬方はいろいろな人と出会えて仕事そのものが旅であるんだそうな、、。<br />
　遠洋漁業の船長職から地元の先輩のように漁師になったが生計が維持しにくく、観光と漁業をあわせる仕事をして、皆さんのご支援のおかげで舟を船にしながら生計の維持できるようになった。<br />
この間、いろんな方とお知り合いになって正に居ながらの旅の様であった。年齢も50代の大台を超えたのが約1昔前になり、何年か前からか船員の老齢年金を授給している。金もないけど借金もない、これからは過去の反省を踏まえて多くの方と接することが出来たら良いなあ、、と願っています。初日の出は水平線に群雲があって多少遅れたが観られた。<br />
　　　本年も替わらぬご愛顧をお願い申し上げます。<br />
志摩沖に31日に出船して、水温は17.7度ありましたが潮が早く対処に終われ真鯛の顔を見ることができたが数がなかった。お詫びと言うわけではないが、来る年もよろしくと思い、皆ですし屋さんに入って郷土名物料理を食べてもらった。<br />
気象海象がよければ明日から出船します。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=89</comments>
 <pubDate>Thu, 01 Jan 2009 12:04:13 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[歳末]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=86</link>
<description><![CDATA[　　?年も半ばを過ぎて諸々の花も散り果てアンタレレス「蠍座の主星」西に流れる　霜早し城のかなたに　雲の色黄河に、、、、盛唐の詩人杜甫「だと思う」の詩にあるが、、、、もう年末です。?年365日があっという間に過ぎていきます。盛夏の候、半夜釣りで赤いかを釣らせながら仰いだ空に蠍座を見たがもう見えず、代わって冬の夜空を彩るオリオン座が顔を出してきた。星の動きを見ていると１年があっという間に過ぎていく気がしないでもない。源平争乱のとき一ノ谷の合戦で撃たれた平家一門の御曹司平の敦盛が、人間５０年下天のうちにくらぶれば夢幻の如くなり、、と語ったそうですが、時代は下り今人生８０年と言われていますが、健康で過ごすならともかく身体不随では、、、賢人が、健康は人生の目的ではないが最初の条件だ、、、と語ったと言いますが、いいえて妙だと感心している。ともかく健康でなければと常に思っています。歳末で皆さんも多忙な時期を迎えていると思いますが健康に留意して頑張ってください。<br />
　　　今志摩沖は水温が高く、ここ数日潮の早い日が続いていてタナ取りに追われています。６０センチ未満の「刺身にベストやけど」真鯛が上がるのみです。、、、よろしく]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=86</comments>
 <pubDate>Tue, 30 Dec 2008 11:00:41 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[初冬の風物詩]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=87</link>
<description><![CDATA[　前志摩半島の中央部に位置する我が故郷和具の町は、沖合いに暗岸や浅瀬や島嶼があってそれが好漁場を育成している。熊野灘を黒潮に乗って北上してくる魚群や、関東の犬吠崎で分断された親潮の支流が運んでくる漁群がここで小休止をしたり住み着いたりするのか定かでないが県下屈指の好漁場である。真冬のカサゴつりから始まって、春の真鯛や初夏のイサキ、秋のカンパチやワラサ等の青物まで魚種が多く漁獲も多いです。一昔前まで魚を見たければ　志州前志摩和具に行け　といわれていまして、今でも鳥羽の水族館から毎週買い付けにきています。その多い魚種や漁獲の中で割合知られていないのが海のギャングと言われているウツボです。川のうなぎと混合するようですが、当地ではウナギと呼んでいます。それが空気が乾燥した今、漁港のあちこちに乾されていて冬の風物詩になっています．採って来たウナギをひらいて骨を抜き薄塩をして天日干にします。古老に聞いた話では、戦後の混乱期に物々交換で街に行ったときにも一番の人気があったとか、、、うちも何年か前から12月にはいってから来てくれるお客さんに渡していましたが、骨っぽいということで賛否両論がありましたが、ここ近年スライスにして渡していますがそれが意外と好評を博しています。から揚げに最高と、、、事実おいしいです。晩酌の肴に最高で、口のうるさい妻も黙して口に入れるくらいです。だまされたつもりで食してみませんか？。これないお客さんには送りましょうか？。　　　12月にはいったと言うに水温が19.8度あります。39センチ前後の小さめのシマアジやイサキ、真鯛が上がっています。よろしくです。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=87</comments>
 <pubDate>Mon, 15 Dec 2008 11:02:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[巻雲]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=81</link>
<description><![CDATA[　　沖から帰り、愛する妻が作ってくれてある食事を済まし、新聞を読んで小休止してから散歩に出るのを日課にしている。陰暦10月を神無月といい、穏やかな日を気象用語で小春日和といいます。今日がそうで、小春日和の穏やかさに誘われたのと熊野灘に沈む夕陽を見たさにテクテクと歩いた。野道にコスモスの花や菊の花が頭が重たいのかわずかな風に揺れていた。潮の流れもないのか、沖合いの大島と小島の前にある立標「航路標識」もまっすぐ立っていた。澄んだ青い空に顔を上げたら少し巻雲が出来ていた。15歳で遠洋漁船の甲板員になったときから空を見上げて日和を読むことを覚えてきた。この巻雲が出てくると2日〜３日後に天気が崩れます。言い換えれば天気予報が出来るということになります。海技免状を取るに勉強してわかったことやけど巻雲を記号であらあわすと co と書きますモンね。今日日の環境用語でもあまりいいことがない記号です。すると穏やかな日も今日までということになると思うと陽が沈むまで愉しんで居りたいと言う気持ちになった。砂浜に目を移すと砂に横たう流木に上着をかけて、幼稚園児のような子供たち数人が体より大きなボールを当てあいしていた。時世時節は変わっても子供たちがすることは変わらないなあと松の根方に腰を下ろして、心の中で子供たちに頑張れ、試合にも人生にも頑張れよって思いながら見つめていた。<br />
　　　今日の志摩沖の水温は19.8度で真鯛と魚辺に秋と書くイナダが揚がっています。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=81</comments>
 <pubDate>Wed, 26 Nov 2008 17:24:03 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[木枯らし1号]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=80</link>
<description><![CDATA[北の大陸で育った冷たい風が日本海を渡るとき海上で湿気を含み、鈴鹿山脈にあたってふるい落とし、乾燥した強めの風　木枯らし1号になった。この木枯らしが波を起こし海鳴りを誘っていた。大王崎を東端に西に伸びる南北に短く東西に長いこの半島を前志摩半島と呼ぶ。半島の中央部の和具の町では小高い丘の上に登ると南北に海を見渡すことができ波の音を聞くことができる。いわゆる潮風が吹きすさび波の音が聞こえる町である。あの時もそうだった。、、、小学校低学年であった私は、土手で仕切られた隣の中学校のグランドから聞こえてくる部活の喧騒と波の音を聞きつつ帰宅したら、父母が庭で網を修理し妹が井戸で洗物をしていた。親父は綿入を着て広告の書いてある薄汚れた帽子をかぶり、母親は幼い弟を背中に負いながら時々揺すって機嫌をとっていた。塀も囲いもなくそのために家の中が丸見えの殺風景の家にかばんを投げ入れて、井戸端に行き上からぶら下がっている釣瓶で水を汲み水瓶に入れた。兄は大きな斧を天に向かって挙げてから薪を割っていた。年齢を問いながらそれなりの仕事をこなしているのが常であった。熊野灘に沈む夕陽は家族の体を分け隔てなく暖めてくれた。波の音を聞きながら兄の体の影が地面に細く長く伸びていたのを見た。楽しみの夕食は足を折って壁に立てかけてあった丸いテーブルを据えてから始まる。父親が真ん中にでんと座り、母親が皆の給仕をしながら食べていた。おかずは魚を中心のおかずやったけど父親は1品多かったが皆が皆暗黙の了解があった。時を得て今、私が妻と同じか少ないくらいである。嗚呼昔が良かったのか親父に甲斐性があったのか、、、ようし妻に言い聞かせて、聞き入れないなら三行半を書くべきかと考えている。、、、今日は強風で休みましたが明日は出船します。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=80</comments>
 <pubDate>Wed, 19 Nov 2008 17:34:06 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[満天の星]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=79</link>
<description><![CDATA[　　準夜勤で勤務に出た妻が帰ってきた気配で目覚めて入れ代わりに外に出た。見上げた空には一片の雲もなく満天を星の光が彩っていた。オリオン星座群が中天に輝き、北斗七星が北東の空に顔を見せていた。気温計を持っていなかったが雲一つない空に吸われて「放射冷却」多分今年一番の冷え込みでなかったろうか？。寒さに気が付いて時計を見たら、午前二時、いまさら布団に戻るわけには行かず、軽トラックの座席に座りながらラジオ深夜便を聞きつつ空を眺めていた。自ら光を発する恒星は我が故郷で観るに大体やけど400年〜450年の歳月が掛かるということを子供の頃にきいた。それが正解ならその頃、わが国は関が原の合戦があって、我が家の先祖である島左近さんが西軍豊臣方の事実上の大将であった石田三成さんの家老として兵を指揮していたのではないでしょうか？。と、思いながら星を見ているとなぜか得をした気分になって心弾んだ。睡眠時間は短かったけど納得のいく朝であった。午前五時ラジオの二ユースを聞きながら港に走り、お客さんを乗せて出船した。今月一日には八枚揚がった真鯛は今一船で一〜二枚ですが代わりにイサキが良く揚がっています。よろしくです。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=79</comments>
 <pubDate>Wed, 05 Nov 2008 17:56:42 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[熊野灘に沈む夕陽]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=78</link>
<description><![CDATA[　低気圧の接近に伴う雨が降り出したのは作朝で、強めの風を吹かしながら今日午前中まで続いた。雨が上がった曇天の空に、わずかの時間強めの北西の季節風を送りそれが雲を払って快晴の空に変わった。前浜漁港に停泊してある船を徒歩で見回った帰り、漁港の東側にある広の浜辺の波打ち際を歩いた。10月の下句に入ったというに気温は高めで、小春日和の陽気であった。盛夏の頃鈴鹿から紀州に続くいわゆる紀伊山脈に隠れた夕陽はだいぶ南に下がって、今熊野灘に沈む。そのために広の浜を東に向かって歩く俺の背中にまともに熱を送ってくる．沖の布施田水道を航走る船の音や寄せては返す波の音を聞きながら、食に飢えた少年の頃を思いながらもこの海があったればこその感謝でした。ふと立ち止まって夕陽を見たら眩しくて急ぎ目を砂浜に転じたら、波が足跡を消していた。ああそうか、いつまでも過去を振り返らずに前に向かって歩けということなのかと自分なりに解釈をして足を速めた。沈む夕陽に体を温めながら思う、お日様も真っ赤に身を焼きながら必ず沈むにまして人の身のこの私、生きてる間は身を燃やしながら自分なりに活きようと。、、、この低気圧の影響で２日休みましたが明日からお客さんも入っているので出船します。よろしくです。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=78</comments>
 <pubDate>Fri, 24 Oct 2008 21:19:03 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[北十字星]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=77</link>
<description><![CDATA[夜明けまで間があるので、習性になっている観天望気で空を見上げる。天空に座しているオリオン星座のペテルギュウス、リゲルに囲まれた三ツ星を南東に線を引くと青白く輝く明るい星がある。古代中国では厳冬期に天空に輝き、狼の目のように爛々と光るので天狼星となずけられた。この星の南に下がったところに少し変形をしているが十字の星がある。この星を北十字星と教えてもらった。少年の頃の我が家は生活が貧窮していて家に風呂がなく、2〜3日おきに近所の子供らと一緒に銭湯にいった。厳冬期、大人げぶって行くときはタオルを首に巻き帰りはきつく絞って体熱を逃さぬように頭からかぶるようにしていた。そうしながら仰いだ北十字星に祈りを捧げた。大人になったらお金が溜まるようにと、そうだ、俺いらがおおきになったら　かねやま　とつけてお金を山ほど貯めようと。以後幾多の歳月が光陰矢のごとくに過ぎたがかなわぬままに今日に至っているが、また願をかけてみた。真鯛を始めとする大きな魚が上がります様にと、願いが通じたのかどうか９日津市の磯崎さんがカンパチの104センチ、7キロを上げた。その後好調をキープしている。宜しかったら来てみませんか？。空に輝く北十字星に大漁を祈ってから出船してみませんか？。必ず願いを聞いてくれると思います。何故なら、星に願いを捧げる人が少ないから聞き届けてくれる確率は高いと思います。、、、今志摩沖は良方真鯛の他にカンパチやイナダ等が釣れて楽しめます。、、、、よろしくです]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=77</comments>
 <pubDate>Mon, 13 Oct 2008 21:21:09 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[釣り大会も終わって、、、]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=76</link>
<description><![CDATA[　　　10月５日、町民祭に合わせて釣り大会を行い大盛況でした。遠くは兵庫県から、近くは伊勢市までの多くの方が参加してくださいました。1位と3位は兵庫県のかたで、本船は津市の片岡さんが61センチで2位に入りました。別個に6人の方に指名されて仲間の船を誘い志摩沖のある場所にかかりました、。潮風が逆で、投錨してから3時間近くの9時前になっても魚肌も付かず、隣の船が無線の情報を聞いて走ったときに思案をしたが、この汐は必ず止まり順潮になると読んで頑張っていました。案のごとくで潮が順になり、道具が船尾に流れてきたときに片岡さんの竿が海中に突っ込んだ。「竿を手に持て」「ドラッグを効かせよ」「彼女にも魚にも優しく」と声を立てて、取り込みました。それからは船中は忙しく、42〜61センチを14枚釣り上げて帰途に着き、町民祭の舞台の上で表彰を行いました。入賞者は景品の他に伊勢海老をもらって喜んでくれて、表彰から漏れた方も抽選で伊勢海老があたり、遊漁船連合会婦人部が作った海老汁とてこねすしに舌堤をさせながら喜んでくれました。参加してくれた皆さんおおきに、、、<br />
　　　今志摩沖は、ちょっと早いが紅葉真鯛が乱舞しています。よろしくです。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=76</comments>
 <pubDate>Mon, 06 Oct 2008 20:39:58 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[出星前夜]]></title>
 <link>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=75</link>
<description><![CDATA[　雨台風に終わった15号を警戒して、船を裏海（英虞湾）の一角に避航して休んだ。その間、図書館をはしごして晴耕雨読ならずともその心境で過ごした。幼少の頃から星が好きで、夜空の星を眺めて心癒したこともあって、図書館でも星の名が付く本を引き出して読んでみる。飯島和一さんの天草の乱を背景に書いたこの本に惹かれ、準夜の勤務に出た妻が帰ったのも気ずかずに一気に読んだ。良くぞここまでと感心するくらいであった。「民を死に追いやる政事のどこに正義があるというのか」と、そしてこの前年も凶作に民は泣いたという。ここに来て異常気象といわれていますが、いつの時代もその時によって自然の悪戯があって、これでもかこれでもかと天災が起こるときもあるのだとしった。大自然の猛威の前には成す術はないが、また一からやり直してきたことが先達の知恵と力なのだと。俺もへこたれずに頑張ろうと思う。この台風15号が通過してからの志摩沖は、真鯛の群れが多いのか？。よく揚がっています。よろしくです。]]></description>
 <category>船長の一言</category>
<comments>http://www.ohyamanet.info/~kaneyama/index.php?itemid=75</comments>
 <pubDate>Fri, 03 Oct 2008 20:37:15 +0900</pubDate>
</item>
  </channel>
</rss>